松尾芭蕉俳句を全国に広め、俳論に秀でた各務支考
○松尾芭蕉の十哲の一人、美濃派俳諧の始祖各務支考は1665年
山県郡北野村西山の村瀬家に生まれました
が幼少期に母を亡くし、姉の嫁ぎ先に入籍し、各務の姓となりました。
その後、6才~19才までを大智寺第4世の弟子として大智寺に住居しました。
○当時の大智寺には多数の修業僧や小僧さんが生活しており、支考もまたその分に応じた仕事を続けつつ、文字・漢籍の知識を修得し、人間支考の基礎が養われたようです。
○19才で還俗し、元禄3年芭蕉と出会ってからも、大智寺で得た知識が大いに役立ち、芭蕉に重宝がられたとのことです。
○なお、大智寺には支考がこの地に戻ってからの住居(獅子庵)が現存しております。簡素で味わい深い後年の支考が偲ばれます。
○昭和9年に河東碧梧桐夫妻が、また、翌昭和10年荻原井水泉も獅子庵を訪れているとか…
大智寺発各務支考、岐阜に~支考ロードを!~
○平成22年、「獅子吼」創刊90周年・・・支考を祖として、波乱の歴史をかい潜り、守り続けられた「獅子門」
俳誌「獅子吼」
○美濃を越え、全国行脚に果敢に挑んだ
各務支考・・・にも関わらず、俳句史に於いて軽んじられてきた
彼の足跡を現在に蘇らせ後世に伝播すべく
支考ロード”が提案されています
獅子庵 |
梅花仏 |
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平成23年11月6日より この獅子庵補修工事が始まりました。
獅子庵は、支考が北野に戻ってからの建築として、290年余の歳月を経ていますから
現在まで、保っていたのが、不思議かもしれません。
この度、やっと解体復元工事の夢が叶いました
皆々様の御尽力御協力のおかげと感謝申し上げます
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芭蕉晩年の"かるみ"の俳風や平明な日常的世界を重視した支考は、
芭蕉没後、都会派の江戸座に対し、美濃派を立机した。
田舎蕉門と言われつつも、近畿・北陸・中国・四国・九州へを継承した
蕉門美濃派を伝播し、長寿結社40社を誕生させている。
行脚日数は 芭蕉=1.82ヶ月?/年 支考=2.26ヶ月/年
この時代に、地方から地方へ行脚して俳句を広めていった支考は、目的地での人との交流交渉術セールス術をもち、更に、"夜話"という一種のイベントを企画運営する能力に長けていたと思われる。又、1日36句の歌仙形式の連句を1巻24句へ、連句のマニュアルをも定めるアイデアを持っていた。
このような能力は当時の文人からは偏見の視線を浴びたであろうが、現在の文芸もまた"アイデア・セールス・イベント"によって世に送り出されている一面を見れば、支考の手法は確かに画期的なものであったようだ。
今日、全国津々浦々に育っている俳句サークルの、最初の種蒔をしたのが各務支考である。
◎ 各務支考のエピソード
その① 支考の名前 あれ?これ?
旅先や作品によって名前を変更し、数多くの変名を持っていたそうです。
野盤子 東華坊 西華坊 獅子老人 桃花仙人 黄色山老人など…
その② 支考の著書あまた
書く事、旅をする事が彼の人生だったようで、多数の書物を残しています。
葛の松原 芭蕉翁追善記 俳諧古今抄 東華集 西華集 三匹猿など…
その③ 芭蕉と伴に
弟子入り以来、薪水の労、旅のお伴、最期の看病、遺言状代筆、葬儀、法要などを師の為に執り行った支考は、それだけ芭蕉と信頼関係にあったとも考えられています。
その④ 支考の生前葬
「俺はもう死んだ」と死んだフリをして、別の名前で本を出版したこともあったようです。堅物俳人と思いきや、ちょっとお茶目で風狂な人だったのですね。
その⑤ 獅子庵での生活
「我、机を離れなば この世の限りと思うべし」
その⑥ 支考が命名~桑名名物・時雨蛤~
『東海道名所図絵』(1797)に「初冬の頃 美味なるゆゑ 時雨蛤の名あり 留まりにて製す」
とある。江戸の将軍へ献上されるのが慣例となっていた桑名宿の煮蛤を
「時雨蛤」と命名したのは桑名市史のよると芭蕉の高弟各務支考といわている。
時の俳人佐々部岱山が今一色の業者から命名を頼まれ師匠の支考に相談したところ
「十月より製し候事故、時雨蛤と命題し・・・・・」として名づけたということです
◎ 支考の作品
牛叱る 声に鴫たつ 夕べかな
山の端の 月見や岐阜は 十三夜
魂棚に 油火細し 我ごとく /
船頭の 耳のとうさよ 桃の花
歌書よりも 軍書にかなし 吉野山
うらやましう うつくしうなりて ちる紅葉
食堂に 雀啼くなり 夕時雨
野に死なば 野を見て思へ 草の花
腹立てる 人にぬめくる なまこ哉
気みじかし 夜ながし 老いの物狂ひ
娑婆にひとり 淋しさ思へ 置き火鉢
◎ 支考の略歴
寛文5年(1665)・・山県郡北野村西山。村瀬家の次男として誕生
6才~19才・・・・大智寺第四世の弟子となる
元禄3年(1690)・・・芭蕉門下となる
正徳元年(1711)・・この地に獅子庵をむすぶ
享保16年(1732)・・2月7日、67才で没
「美濃派俳句資料館」も御参照下さい
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獅子門って何かな?……「獅子吼」って何かな?
獅子庵 |
梅花仏 |
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各務支考の別号の獅子老人にちなんで付けられた俳句のグループ名です。
美濃を本拠に活動し、歴代宗匠に美濃在住者が多いので、美濃派ともいわれます。
伝統を踏まえつつ、現代に根ざす俳句と
連句の創作研究を続けています。
芭蕉忌や支考忌には伝承の正式俳諧(しょうしきはいかい)を興行しています。
「獅子吼」とは、獅子門の方々が投稿した俳句や各務支考の事
その他俳句まめ知識や会員通信などが掲載された月刊誌の名前です。
大正8年に創刊し、昭和23年から月刊誌になっています。
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第5回獅子庵投句ポスト特選句
○獅子庵に来て払ひあふ草虱 名古屋市 山口こひな
へ
○如月の白き日差しの支考句碑 大垣市 川瀬スマ子
○風がふく踊りだしたよひがん花 岐阜市 渡辺直紀
今月の三輪句会
2025年1月
〇地に触れず空には遠く秋の蝶 義弘
2024年12月
〇蟷螂や睨みきかせて径歩く 義弘
〇白鷺が秋の朝日を浴びて立つ 義弘
2024年10月
〇梅雨最中木々は生き生きするばかり 義弘
〇松葉菊花が閉ぢたり開いたり 義弘
〇濁声のかすかに聞こゆ親鴉 義弘
2024年9月
〇若葉風吹きて柿の葉きらきらと 義弘
〇夏風を手渡して行く山の木々 義弘
〇若葉風吹きて柿の葉きらきらと 義弘
〇夏風を手渡して行く山の木々 義弘
いくつ読めるかな?~難語・脳トレ~全問正解で俳句王?
まずは……蛞蝓(?)に塩ひとつまみほどの悔い……答えは欄外デス
<ェtd>はねつるべ
Q. | 鴨足草 | 蓼 | 一叢 | 薔薇 | 棘 | 晩稲 | 通草 | 稲架 | 藺草 | 牛膝 | 金縷梅 |
A. | ゆきのした | たで | ひとむら | そうび | おどろ | おくて | あけび | はさ | いぐさ | いのこずち | まんさく |
Q. | 水洟 | 転寝 | 眩暈 | 跣足 | 碇星 | 杓文字 | 熟睡 | 焜炉 | 轆轤 | 禊 | 蔕 |
A. | みずばな | うたたね | めまい | はだし | いかりぼし | しゃもじ | うまい | こんろ | ろくろ | みそぎ | へた |
Q. | 就中 | 喘ぐ | 掠める | 零れる | 劈く | 縋る | 鏤める | 強面 | 現世 | 手遊び | 徐 |
A. | なかんづく | あえぐ | かすめる | こぼれる | つんざく | すがる | ちりばめる | こわもて | うつしよ | てすさび | おもむろ |
Q. | 欲る | 撥釣瓶喘ぐ | 幣辛夷 | 傀儡 | 屯する | 詐り | 恣 | 独活 | 四阿 | 金糸雀 | 忍冬 |
A. | ほる | しでこぶし | かいらい | たむろするく | いつわり | ほしいまま | うど | あずまや | カナリヤ | すいかずら |
ェ
答え=ナメクジ
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☆獅子門新年句会
日時 令和7年1月12日(日)11時~15時
会費 5,000円…当日受付にて
場所 ホテルグランブェエール岐山11階
☆第23回「芭蕉の道俳句大会」予定案内
日時 令和7年5月31日(土)午後1時~
場所 じゅうろくプラザ2階ホテルグランブェエール岐山
☆支考研究の第一人者 堀切実先生 新刊紹介
〇『芭蕉を受け継ぐ現代俳人』~季語と取り合わせの文化~
〇ぺりかん社 3,500円+税
おまけ~獅子門道統系譜~
①松尾芭蕉―②各務支考―③仙石―④田中五竹坊→2派に分かれる
(以哉派)⑤安田以哉坊―⑥大野是什坊―……35益井一鴎…36川井一白
(再和派)⑤河村再和坊―⑥佐々木森々庵……24田内盤古庵…25丹羽玄々庵
|昭和48年合同 37各務於菟―38沢田蘆月―39国島十雨―40伊藤白雲―41大野鵠士
蛇足
〇2024.4 たづねなばありとおぼえし句碑おぼろ
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